2020年4月22日 / 最終更新日 : 2020年4月23日 harubon24 江原あらかると 銀杏の大木 明治37年(1904年)熊中が藪ノ内から大江の新校舎に移転したとき、元は託麻ヶ原の西端の桑畑だった土地ですから、そこにあの銀杏はまだ生えていませんでした。
2020年4月17日 / 最終更新日 : 2020年4月17日 harubon24 江原あらかると 102年前のインフルエンザと熊中 寛校長の時代で、規定の1学年定員は200名(50名×4学級)。入学志願者は定員の2倍ほどいたようですが、入試を経て実際に入学できたのは130名(大正8年度実績数)程度だったようです。