2021年1月18日 / 最終更新日 : 2021年1月18日 sweetrain100 江原あらかると 熊中の校舎と正門はどこ向き? 学校を卒業すると、次は同窓会の出番です。卒後の人生において、同窓間の人的交流を密にすべく同窓会の中では、世話し世話され、の関係がずっと続きます。
2021年1月18日 / 最終更新日 : 2021年1月29日 sweetrain100 江原あらかると 熊高は洪水の安全地帯か? 人吉球磨地方が球磨川の大洪水で大変な被害にあったことは記憶に生々しいところですが、母校お膝元の熊本市における水害は?というと、70歳を超える方々は実体験としての記憶がおありかもしれませんが、「6/26の白川大水害」がありました。
2020年12月24日 / 最終更新日 : 2020年12月27日 master3 江原あらかると 2回行った夏の甲子園 熊高野球部は、1953年(昭和28年)と1955年(昭和30年)の2回、夏の甲子園(全国高等学校野球選手権大会)に出場しています。県予選と西九州大会のトーナメントを制しての代表でした。 特に1953年(昭和28年)の出場 […]
2020年12月24日 / 最終更新日 : 2020年12月25日 sweetrain100 江原あらかると 江原会って何? 学校を卒業すると、次は同窓会の出番です。卒後の人生において、同窓間の人的交流を密にすべく同窓会の中では、世話し世話され、の関係がずっと続きます。
2020年12月24日 / 最終更新日 : 2020年12月24日 master3 江原あらかると あの感激をもう一度! 初出場。1989年(平成元年)第69回大会。優勝は天理。 1回戦 熊高13〇-● 4宮城水産。2回戦 熊高 9●-〇12黒沢尻工(岩手)。 2度目。1992年(平成4年)第72回大会。優勝は伏見工業。 1回戦 […]
2020年12月16日 / 最終更新日 : 2020年12月24日 master3 江原あらかると 熊中・熊高。大江じゃなかったかも? 明治37年(1904年)、熊本中学校は大江村の現在地に新築移転し、120年後の今も熊高はそこにあります。でも、歴史の中には、大江ではない別の場所に建つ母校の可能性もあったようです。
2020年4月22日 / 最終更新日 : 2020年4月23日 harubon24 江原あらかると 銀杏の大木 明治37年(1904年)熊中が藪ノ内から大江の新校舎に移転したとき、元は託麻ヶ原の西端の桑畑だった土地ですから、そこにあの銀杏はまだ生えていませんでした。
2020年4月17日 / 最終更新日 : 2020年4月17日 harubon24 江原あらかると 102年前のインフルエンザと熊中 寛校長の時代で、規定の1学年定員は200名(50名×4学級)。入学志願者は定員の2倍ほどいたようですが、入試を経て実際に入学できたのは130名(大正8年度実績数)程度だったようです。
2020年3月24日 / 最終更新日 : 2020年4月23日 master3 江原あらかると 校門秘話 江原会会員の共通原風景 母校の思い出は、人それぞれ多種多様です。恩師の一言、級友との会話、部活の汗など、個々人に固有のメモリーは後世には補填が効かない一生の宝と言えます。では、世代を連ねる江原会会員が共有し、いつでも追体 […]