2021年1月25日 / 最終更新日 : 2021年1月25日 master3 江原あらかると 応援歌と逍遥歌を必要とした理由 昭和26年の生徒実相 江原会関連の集まりでは、次第の最後に、校歌だけでなく第二応援歌も歌わないと何だか気分が締まりませんよね。近年では第一応援歌と逍遥歌は、夏の熊高音楽会のときに歌うくらいかもしれませんが、筆者が高11回卒の先輩とお話したとき […]
2021年1月25日 / 最終更新日 : 2021年1月25日 master3 江原あらかると 士君子誕生 「士君子」教育は、120年を超す年月や社会情勢の根本的変化をも超越する普遍性を持つ教育思想ですが、熊中・熊高に根付く「士君子」教育がどのようにして誕生したのか、「新版 野田先生傳」の記述でたどってみます。 齋藤鶴跡:本名 […]
2021年1月24日 / 最終更新日 : 2021年1月25日 master3 江原あらかると 友だち何人できるかな? 熊中・熊高の120年の歴史の中では、一学年の定員も大きく変動してきました。公立校ですから、一学年の定員は社会背景を映したものになりますが、グラフにしてみると、思った以上に定員(グラフは卒業生数)は時代によって変わっていま […]
2021年1月18日 / 最終更新日 : 2021年1月18日 sweetrain100 江原あらかると 熊中の校舎と正門はどこ向き? 学校を卒業すると、次は同窓会の出番です。卒後の人生において、同窓間の人的交流を密にすべく同窓会の中では、世話し世話され、の関係がずっと続きます。
2021年1月18日 / 最終更新日 : 2021年1月29日 sweetrain100 江原あらかると 熊高は洪水の安全地帯か? 人吉球磨地方が球磨川の大洪水で大変な被害にあったことは記憶に生々しいところですが、母校お膝元の熊本市における水害は?というと、70歳を超える方々は実体験としての記憶がおありかもしれませんが、「6/26の白川大水害」がありました。
2020年12月24日 / 最終更新日 : 2020年12月27日 master3 江原あらかると 2回行った夏の甲子園 熊高野球部は、1953年(昭和28年)と1955年(昭和30年)の2回、夏の甲子園(全国高等学校野球選手権大会)に出場しています。県予選と西九州大会のトーナメントを制しての代表でした。 特に1953年(昭和28年)の出場 […]
2020年12月24日 / 最終更新日 : 2020年12月25日 sweetrain100 江原あらかると 江原会って何? 学校を卒業すると、次は同窓会の出番です。卒後の人生において、同窓間の人的交流を密にすべく同窓会の中では、世話し世話され、の関係がずっと続きます。
2020年12月24日 / 最終更新日 : 2020年12月24日 master3 江原あらかると あの感激をもう一度! 初出場。1989年(平成元年)第69回大会。優勝は天理。 1回戦 熊高13〇-● 4宮城水産。2回戦 熊高 9●-〇12黒沢尻工(岩手)。 2度目。1992年(平成4年)第72回大会。優勝は伏見工業。 1回戦 […]
2020年12月16日 / 最終更新日 : 2020年12月24日 master3 江原あらかると 熊中・熊高。大江じゃなかったかも? 明治37年(1904年)、熊本中学校は大江村の現在地に新築移転し、120年後の今も熊高はそこにあります。でも、歴史の中には、大江ではない別の場所に建つ母校の可能性もあったようです。
2020年4月22日 / 最終更新日 : 2020年4月23日 harubon24 江原あらかると 銀杏の大木 明治37年(1904年)熊中が藪ノ内から大江の新校舎に移転したとき、元は託麻ヶ原の西端の桑畑だった土地ですから、そこにあの銀杏はまだ生えていませんでした。