102年前のインフルエンザと熊中

新型コロナ

2019年の暮れ、中国・武漢で突如として牙をむいた新型コロナウイルス。年明けの1月中旬の報道で、初めてそのことを知りました。そのわずか1か月半後、3月には母校も臨時休校を強いられるまでになり、新年度になっても、いったいいつ授業を再開できるのか、誰にもわからない状況です。1945年7月の空襲焼亡、1971年2月の校舎焼亡、2016年4月の熊本地震などに並ぶあるいはそれ以上の大変な事態になってしまいました。

スペインかぜ

今世紀になって、SARS(2002年~2003年・イートンサマースクール中止)、新型インフルエンザ(2009年~2010年)、MERS(2012年~)と、たて続けに凶悪な新型感染症が世界を襲い続けていますが、前世紀にも1957年のアジアかぜ、1968年の香港かぜ、1977年のソ連かぜなどの流行があり、その時代を通り過ぎてきた世代には忘れられない病気の名前だと思います。当時の母校でも、罹患欠席者の増加や学級閉鎖などがあったことだろう、と推察されます。しかし、熊中・熊高の八十年史や百年史を見ますと、これまで一番影響が大きかったのは、1918年(大正7年)のスペインかぜ(インフルエンザ)のようです。

そのときの母校

野田寛校長の時代で、規定の1学年定員は200名(50名×4学級)。入学志願者は定員の2倍ほどいたようですが、入試を経て実際に入学できたのは130名(大正8年度実績数)程度だったようです。仮に5学年ともこの人数とすると、熊中の全校生徒は650名くらいになります。八十年史年表の大正7年10月28日の欄に、「スペイン風邪大流行、本日職員7名・生徒244名の欠席あり、11月9日迄臨時休業」とあり、何と全校生徒の3分の1以上が欠席したようです。10月30日の創立記念式典と体育演習会は中止されています。

当時の熊本の様子

「世相くまもと 明治・大正編」(熊本日日新聞社刊)から九州日日新聞の記事を紹介します。「近頃流行の感冒は、学校、軍隊等に特に猛威を振るっているが、熊本市では古町方面に患者がもっとも多い。神経をおかす傾向もあり、頭痛がひどく高熱が続いて治るまで約一週間もかかる。死亡率は少ないが、五歳未満の小児は危険という(1918年10月26日)」、「流行性感冒は猛烈な勢いで県下各地を襲っている。中でも下益城郡地方は一番ひどく、豊福小では全生徒の三分の一、玉名中学では百五十人、天草中学では百七十余人、濟々黌では二百五十余人が被患して授業を休止している(同年同月 27日)」、「天草郡の漁業者の過半はり病し、出漁数が減っているが、ことに崎津村では三百戸の過半がかかり、一日四人の死者も出ている(同年11月9日)」

Follow me!

前の記事

校門秘話

次の記事

銀杏の大木